東大話法を笑う
2012-06-05


本を読んで夢をみました。安冨歩「原発危機と東大話法 傍観者の論理・欺瞞の言語」明石書店,2012

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筆者は原発危機を招いた専門家や官僚が使用する言葉の技法を「東大話法」と名付け、それを生み出す「東大文化」とともに詳細に解説。今「東大話法」を使っている人はやめ、それを見聞きした人は、「東大話法」だと見抜いて、操作されるのをやめましょうよ、という誠実な主張の本。でもその内容の過激さにドキドキします。


東大話法規則一覧
@自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する
A自分の都合のよいように相手の話を解釈する
B都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする
C都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す
Dどんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す
E自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する
Fその場で自分が立派な人だと思われることを言う。
G自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する
H「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく
Iスケープゴートを侮辱することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる
J相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す
K自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する
L自分の立場に沿って、都合のよい話を集める
M羊頭狗肉
Nわけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する
Oわけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する
Pああでもない、こうでもない、と自分がいろいろと知っていることを並べて、賢いところを見せる
Qああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす
R全体のバランスを常に考えて発言せよ
S「もし〇〇〇であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける

著者は、「東大話法」と出会ったときには、「ははあ〜」と恐れ入らずに笑っちゃいましょうと呼びかけます。



東大に行っても、いえきっと東大に行ったからこそ欺瞞の言語を使わない先生方がいらっしゃいますし、東大に行かなくても研究という世界で訓練を受けた人間は、多かれ少なかれ「東大文化」や「東大話法」になじんでいます。知ったかぶりや評論家気取りは、人として恥ずかしい行為であり、決してやってはいけないこととして、私はたまたま父から厳しく教えられてきましたが、じっくりと考えたことがないことでもひとまず意見をいうこと、わずかな知識で堂々としゃべること、自分の体を通していない言葉を人に向かって語ることが上手くできるほうが専門家らしく見えるのだろうと思います。

保育者は常に当事者であり傍観者にも評論家にもなれません。自分の体を通した知を語ります。それは人としてかっこいいことです。
・・・私は、夢のなかで群馬の小さな託児所で働いていました。働く期間は三日間限り。
このまま託児所に残るか、大学に戻るか、夢のなかで悩んでいました。私のほんとうの言葉は、保育所で生まれる、でも学生たちとの間にもそれはあると葛藤・・・この夢は、この本に出会ったせいでしょう。                  


この時代には、傍観者として器用に順応している人より、不器用で立ち止まり、もがき苦しんでいる人の方がずっと誠実に生きているかもしれないのに、いつのまにか思考と行動が傍観者に近づいている自分に気づかされました。


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